はやり目(流行性角結膜炎)になった話

前回の記事に続けて、苦々しい体験談を書きます。ウイルス性の強烈な結膜炎(流行性角結膜炎、通称「はやり目」)に感染した時の体験と、そこから感じたこと、学んだことについてです。

綿雲のような軽い優しさでさえも
取りこぼしてしまうような日々の中で
夕闇に閉ざされゆく扉を
ひたすら感じながら
行く末を導くひとかけらを
ただただ探し続けるのだ

明日は美しいのだろうか
明日は楽になれるだろうか
明日ならば優しさに出会えるだろうか
今日犯した過ちが明日には許されているだろうか
何も知ろうとしない静かな夜に
白い光を思い描いては消えていく

(私の手記より引用)

発症までの経緯

それは突然始まった

2018年6月19日の朝、目が覚めると、昨日はなんともなかった左目が激しく充血していて、大量の目やにが出ました。以前も似たようなことがあり、当時は翌日か翌々日には症状が退いていたので、今回もそのうち症状が引くだろうと思い、そのまま仕事へ向かいました。しかし、その日の夜の就寝後の深夜に目が覚めてしまい、左目に一層の不快感を感じました。症状がさらに激しくひどくなっていたことを警戒し、PCを立ち上げて、近所で評判の良い眼科がないか検索しました。口コミや院長のインタビュー記事などを拝見し、「検査設備が充実している」「患者の悩みをよく聞く」などの主張を信頼して、翌朝に行く眼科を決定して再び眠りにつきました。

翌朝目が覚めると、濁った涙が出て、左目に時々刺激的な痛みが出るまでになっていました。会社の上司に「眼科へ行くので午前中は休む」と連絡を入れた上で、そのまま眼科へ直行しました。

眼科にて

眼科へは初診で訪れました。眼科のあるビルの入り口には「目の充血や目やにのある患者は、エレベーターを使わずに、階段を使ってください」という張り紙がされていたので、階段を上がっていきました。待合室では座る場所を指示され、そこで問診票を記入しました。壁には「はやり目(ウイルス性の結膜炎)が流行していますので、注意してください」旨の張り紙が貼られていましたが、この時は自分は関係ないだろうと思っていました。

受付からは「予約ではないので、30分〜1時間お待ちいただくかもしれません」と言われたので、気長に待とうと思っていましたが、意外にも院長からすぐに呼び出されました。視力や眼圧などの検査はありませんでした。診察室に行くと、院長先生は、緊迫した様子でこう言いました。

院長
荷物はそこに置いてください。何も触らないでこちらへ来てください。

この時「自分が何をしたっていうんだ?」と思いました。
眼を観察する機械に顎を乗せ、一通り視診をしてもらいました。その後、院長は冷蔵庫から「アデノチェック」という箱のパッケージを開封し、綿棒で私の左目の涙をぬぐいました。それを検体として「アデノチェック」でウイルスの検査を行ったようでした。
院長
アデノウイルス陽性ですね。線が2本立っています。

そして、以下のような紙切れを渡されました。

アデノウイルス抗原精密検査
(抗アデノウイルス・モノクロナール抗原抗体法)
らびすぱ 様

○1)アデノチェック(参天)
2)キャピリア・アデノ(日本ベクトン・ディッキンソン)  による

検査結果は、  陰性 , ○陽性  でした。

〒XXX-XXXX 住所 ○○眼科クリニック
Tel XX-XXXX-XXXX Fax XX-XXXX-XXXX

2018年6月20日

この時初めて、自分がウイルスを持ち込んでしまっていたことがわかり、なぜ現場が緊張状態にあり、自分が隔離されていたのかが理解できました。院長は、少しきつめな口調で尋ねました。

院長
心当たりはありませんか? 一体何をしていたんですか?

らびすぱ
普通に過ごしていたつもりでした。ただ、昨日は単に目にゴミが入ったのかなぁと思って…。

院長
いや、潜伏期間が1〜2週間あったんですよ? それまで一体何をしていたんですか?

らびすぱ
すみませんが、心当たりがわかりません…。

院長
あなたは青年ですから、これからもっと症状がひどくなりますよ。激しい目の痛みや視力低下が出てくる可能性もあります。

らびすぱ
マジすか…。勘弁してくださいよ…。

院長
はやり目を治療する薬はありません。症状を抑える対処療法しかできません。目薬処方しておきますから。リンデロンA液、1日4回、朝・昼・晩・寝る前にさしてください。

そう言って、私にはやり目に関するパンフレットと、点眼方法を説明した紙を渡しました。
院長
2週間後に来てください。

現場はかなりピリピリしていて、私が座った待合室の座席などを、スタッフが一生懸命に消毒していました。クリニックとしては、院内感染は評判に傷がつくことに繋がるので、このような雰囲気は仕方のないことなのかもしれません。私は若干後ろめたい気分とともに眼科を去りました。

その日は緊急で半休をもらっていましたが、会社の上司にチャットで事情を説明し、全休に切り替えてもらいました。午後からは微熱も出てきました。

上司
了解です。お大事に。今日のミーティングで話す予定だった、給与のフィードバックの内容は、かくかくしかじか。直接話したかったけど。復帰したら次回の目標設定について話し合う予定だから、用意しておいてね。

はやり目とは

まず、はやり目(流行性角結膜炎)についてGoogleで検索をかけてみますと、そのほとんどが、クリニックや感染症研究施設などによる解説ページばかりであり、どれも同じようなことが書かれているため、当事者がこれから実際にどうなってしまうのか、という一番重要な情報を得ることができずに、途方に暮れることになります。なぜ私たちが途方に暮れなければならないかというと、その症状の度合いや持続期間は完全に個人差に依存しており、本人の苦行以外では誰も正確な結論を導くことができないからです。

そんな中で、確度の比較的高い定説として言えることは、早めに適切な対処療法を始めることができれば、症状の程度や回復までの時間に大幅な差はあれども、後遺症などを含めて、ほとんどの場合において一過性の症状ですむということです。望ましくない後遺症が出てしまったことを告白しているブログや質問サイトなどの記事もありましたが、自分がどのような経過をたどるかについてや、症状がいつどのように改善してくれるかについては、最終的には自分の体を信じるしかないというのが現状です。

さしあたり、検索して出てくる、クリニックなどの解説ページに書かれている内容と同じようなものをここにも書いておきます。アデノウイルスに感染すると、1〜2週間の潜伏期間(無症状)を経て、発症した日の朝に大量の目やにと激しい充血が突然出現します。最初は片目だけに炎症が起きたとしても、数日後にもう片方の目も炎症を被る可能性が極めて高いです。その後、ウイルスは徐々に目とその周辺を蝕んでいき、結膜を激しく侵すばかりでなく、瞼の裏に偽膜を生じたり、耳元のリンパ節に炎症を引き起こしたりします。体温は、感染者の体の抵抗力が弱いほど上昇するようです。ウイルスは結膜だけでなく、角膜も徐々に侵していきます。角膜の上皮細胞(厚さは約50ミクロン)がある一定以上侵されると、角膜の神経に到達して激しい痛みが出ます。この痛みのせいで夜に眠れなくなることもあります。ウイルスに対する免疫が形成されるにはおよそ1〜2週間かかります。抗体ができてくると、このような激しい症状は2〜3週間で徐々に緩和されていきます。角膜を損傷した場合は、後遺症の治療に数ヶ月〜1年以上かかります。たとえ角膜を激しく損傷しなかったとしても、結膜の炎症が退いてくる頃に、見え方に問題を引き起こす場合もあるようで、その場合もやはり角膜への障害が若干あるために、治療の継続が必要になります。

私の場合、リンデロンが功を奏したせいか、角膜の激しい痛みや激しい損傷は避けることができましたが、それに引き換え、リンデロンの副作用の可能性として、目の圧迫感などに苦しむことになりました。左耳のリンパ節に軽く炎症がありましたが、偽膜は生じませんでした。また、左目は結膜炎の最中とそれ以後、右目は結膜炎の後に、見え方の問題を生じたため、やはり角膜の後遺症の治療が必要になってしまいました。

治療方法については、EyeWikiの流行性角結膜炎の記事から翻訳して引用します。

流行性角結膜炎は自然に治癒するのもであり、効果的な治療法は存在しない。抗ウイルス薬はウイルス性結膜炎に対しては、特に流行性角結膜炎に関与するアデノウイルスに対しては、有効であることは示されていない。[7][8][11] 外用副腎皮質ホルモン剤(ステロイド外用薬)は、炎症に関する症状を減少させるのに役立つ一方で、回復時間を早める上では深刻な影響がないことから、重症例では外用副腎皮質ホルモン剤が処方される。[8] ただし、いくつかの研究が実際に示すところによれば、外用副腎皮質ホルモン剤の使用は、免疫システムによりアデノウイルスが除去されるのを抑制し、ウイルスの複製を助長することにより、実際に罹患期間が増加する可能性があるとしている。[7][8]

他の治療法は症状を軽減させることに重点を置いている。これらには、冷湿布や、人工涙液や、光恐怖症による著しい不快感を軽減する毛様筋調節外用薬が含まれる。 [2] [20][8][11]

さて、Wikipediaの英語版の記事には、残念ながら正しいとは断定し難い記述があります。この記述に対する出典もありません。(私はWikipediaを編集する気はありません)

Topical steroids should be avoided because they prolong viral replication, frequently lead to long-lasting dry eye symptoms, and corneal opacities almost always recur after discontinuation of topical steroids.

訳 : ステロイド外用薬は、ウイルスの複製を長引かせ、ドライアイの症状を長引かせることに繋がることが多いだけでなく、ステロイド外用薬を中止した後にはほぼ必ず角膜混濁が再発するので、ステロイド外用薬は避けるべきである。

(Adenoviral keratoconjunctivitisの記事より引用・翻訳)

症状がひどい場合は、むごたらしい症状の悪化を防ぐためにステロイドの処方もやむを得ないのが現状ですが、ウイルスによる悪影響とステロイドによる悪影響のどちらが強く出るのかでさえも、残念ながら個人差になってしまって、確かなことが何も言えないというのが現状です。

はやり目がいかにむごたらしいか

以下の4つの観点から説明できます。

  1. 病気そのものの残酷さ
  2. 治療に対する苦しみ
  3. 相互理解の困難さ
  4. 脅威に対する無防備さ

その本質は、この病のもたらす脅威や目を使用する上での不自由さの可能性にもかかわらず、身近な人に理解されることもなく、そしてそれを安全に防衛することが事実上不可能であるということに尽きます。

病気そのものの残酷さ

強い感染力
運が悪ければ、たかだか目を触っただけで感染する。目を触っていなくても、ウイルスに汚染された物体が誤って目に入れば感染する。潜伏期間が7〜14日あるため、どこで感染したのかを特定するのは極めて難しい。
強い症状
個人差はあれども、基本的に症状は強く、炎症を抑える努力や、体力の維持ができない場合、激しい目の痛みに苦しんだり、下記の後遺症に長く苦しむことになる。

治療に対する苦しみ

効果的な治療法がない
アデノウイルスに対する特効薬は存在しない。炎症を今以上に強めないようにするための対処療法しかない。通常2〜3週間で目の赤みは退いてくるものの、個人差があるためいつ治るかわからない。
長い後遺症
発症期間中にアデノウイルスが角膜の表面を汚損するため、視界が曇ったり、ぼやけたりしてしまう。一過性であるとはいえ、これが治癒するのに1ヶ月以上かかることもある。これも個人差があるためいつ治るかわからない。また、正しく治療をしていないと角膜が濁ってしまい、視力が低下し回復がさらに困難になる。

相互理解の困難さ

他人に理解されにくい
その見た目では、経験者以外では病状の苦しみが理解されない。たとえ経験者であっても、その苦しみを忘れてしまうことはたやすい。何も知らない人にとっては、ただ単に目が赤い変な人にしか見えない。そのことが誤解や感染の拡大を助長する。

脅威に対する無防備さ

効果的な予防法がない
上記のような脅威にもかかわらず、安全に予防することができない。具体的には、アデノウイルスを予防できるような効果的なワクチンは存在しない。外出先では直接目に触れないようにするなどの凡庸な予防法しか手立てがなく、人々はこの脅威に対して極めて無防備なままである。
何度も感染する
同じ型のアデノウイルスに対しては抗体ができるものの、アデノウイルス自体は何十種類(少なくともはやり目をもたらすものは6種類以上)もの型が存在するため、今後も異なる型に感染すれば再度発症する可能性は十分にある。また、アデノウイルスに関しては、ある特定の型に対する抗体ができても、その持続期間が長くないという主張があり、もしそれが定説であるならば、同様の型のウイルスに対して将来同様の苦しみを経験する可能性も十分にある。

闘病日誌

闘病中は両目と全身の症状と、特記すべき行動内容を具体的に記した日誌を自主的につけていました。これは次回の診察の際に眼科へも提出しました。

はやり目闘病日誌(PDF形式, 131081 bytes)

闘病しながら感じたこと

毎日が修羅場でした。この病は伝染性が強いので、必要以外で人に会うことはできませんでした。私を慰めてくれる人間は一人もいませんでした。たとえ「大丈夫だよ」言ってくれたとしても、客観的に大丈夫であるとわかるまでは、それを信じられない気持ちでいました。そして、状況を客観的に把握する手段は何もありませんでした。ですから、たった一人でひたすら自分の体を守ろうとすることで精一杯なのに、今後起こりうるありとあらゆる不安に苛まれました。起こりうる角膜炎に対する不安、起こりうる眼圧上昇に対する不安、起こりうる視力低下などの後遺症に対する不安…。これらを確かめてくれたり、今後のことについて断言できる手段は一つもありませんでした。不安から食欲不振になり、微熱も出ました。しかし、食事を欠かすと治るものも治りませんから、毎食、吐き気を無理やり押さえ込みながら、時間をかけて苦しみながら、自炊した食事を食べていました。

不安というのは、わからないことがあるから不安になるのであって、わかるべき内容が客観的に把握できるだけでも不安は減るものです。しかし、発症中は明らかにわからないことだらけでした。わからないことが解消されないままでいると、様々な可能性を想像するようになり、すでに取り返しのつかないことになっているのではないかというような、あらぬことに対して身勝手な心配をするようにもなります。

「たとえ取り返しがつかないことになっても、なるようにしかならないさ」と、捉えることは簡単そうに見えて、非常に辛く苦しく強いことでもあるように思えました。今まで当たり前に過ごして来れたことを失うことが、どれほど惜しいことか、それにどれほど執着していたか、それを嫌という程に思い知らされました。

闘病しながら気づいたこと

仕事や生活をしたり、自己実現をしたりする上で、目は極めて大切なものです。それゆえに、そのことは自らの弱点でもあります。今回はその弱みを握られたということになります。そして、目や視力など、それが当たり前で大切なものであるからこそ、それが失われてしまうのではないかという不安にかられます。

発症前においても、しばらく心の休みを取れておらず、焦ってばかりいましたが、今回の病で半強制的に自宅療養したことで、仕事など、自らを焦らせる要因に対してはある種の「諦め」がつきました。しかし、自分の行く末が見えず、わからないことだらけであり、それらをわかることを許されぬ状態では、あらぬことばかりを心配させられました。特に、目の前の症状を酷くしないように必死でした。

闘病しながら学んだこと

この苦行を通じて最も学ばされたことは、普段健康であることや、体が自然に病気を治していくことなどといった当たり前でいられることに対して、当たり前だという自覚でいては、自分自身の体に感謝することができない、ということでした。そして、たとえ普段、自分自身の体に感謝をすることは重要であると知識として把握していたとしても、ほとんどの場合、このような苦行を経験しない限りは、それを真に実感することができないということでした。このような苦しみを経験しなければ、当たり前でいられるという感覚が、実が感謝すべきでものであるということを、学ぶことができないのではないかと思いました。

2週間後、再び眼科へ

発症から2週間以上経過した木曜日、充血の症状は治まってきましたが、左目の見え方に若干の問題がありました。このタイミングでは一時的にですが右目の視力も落ちていました。再び午前休を取って眼科へ行きました。診察の前に眼圧と視力を測定しました。ステロイドの副作用のせいか目の圧迫感に悩まされていたので、眼圧は気になっていましたが、意外にも正常値でした。視力検査では、普段見えるはずのランドルト環がぼやけて見えず、悔し紛れに山勘で向きを答えていました。

眼科への受診の前後数日は、後遺症の視力低下や視界の曇りに悩まされましたが、特に近視や遠視のように距離によって見えやすさが変わるということはなく、角膜上皮細胞の損傷による視力低下では遠くも近くも等しくぼやけて見えるため、行動する際はそれなりに苦労しました。その後、院長に診察をしてもらいました。

院長
これ、かなりゴロゴロ(異物感)するでしょ?

らびすぱ
時々、異物感を感じることはあります。

院長
リンデロンをやってもこれだからなぁ、結構症状激しかったでしょ?

らびすぱ
耳の下が痛くなったり、瞼が腫れて開けづらくなったりしましたが、黒目(角膜)が激しく痛くなる症状だけは回避できました。ただ、目の圧迫感だけは怖かったです。

院長
炎症で目がパンパンになっちゃうからね。

らびすぱ
目の圧迫感は充血が退いてからも続いたんで、目薬の副作用なのではないかと思ったんです。

院長
リンデロンは眼科の領域で処方する薬の中では最強の薬なので、副作用も強く出ます。

そして、会話は今後の治療に関する話に移っていきました。
院長
角膜に結構傷がついてしまっていますので、これからはその治療をやっていきましょう。

らびすぱ
これはいずれは治るものですか?

院長
治るまでの期間には個人差はありますが、いずれは治ります。

らびすぱ
実は10年以上前に、一生傷跡の残る怪我をしてしまったことがあって、あの時は1年以上かけて治療しました。それに比べれば、回復の余地があるというだけでも、せめてもの救いです…。

院長
怪我はどうしようもないところがありますが、感染症は基本的には回復していくものですから。

前回はウイルスを持ち込んでいたので雰囲気はピリピリしていましたが、今回は伝染の心配もなくなったせいか、ネットで調べた通り、院長の患者の悩みを真剣に聞く態度は読み取れました。

その後、眼底の写真なども撮ってもらい、水晶体の濁り(白内障)や、視野の欠け(緑内障)などといった取り返しのつかない症状は今のところは一切ないこと、角膜上皮障害以外の深刻な症状はないことを確認し、ひとまず安心しました。あとは、気になったことも質問しておきました。

らびすぱ
ところで、アデノウイルスの型の同定はしていますか?

院長
そこまではしていません。実験室レベルの話なので。アデノウイルスといっても何十種類もありますし。

会社から要求されていたので、診断書も書いてもらいました。

診断名:流行性角結膜炎(急性濾胞性結膜炎)

充血、目脂にて6月20日当科初診。急性濾胞性結膜炎を認めた。アデノウイルス性結膜炎を疑い、アデノウイルス抗原精密検査を施行し陽性だった。リンデロンA点眼液にて加療開始。症状が落ち着き感染力がなくなるまで約2週間程度、自宅静療が望ましい

本日、矯正視力両眼1.2。感染の恐れはなくなったが、点状表層角膜症、斑状角膜炎を認め、加療追加としばらくの間、経過観察が必要である。

上記を診断いたします。

平成30年7月5日

入念に検査をしてもらい重大な異常がないと知っただけでも、わからないことだらけであった時間の流れの中で背負わされてきた重荷がかなり軽くなりました。

後遺症とその治療

後遺症の治療のため、ヒアレイン(ヒアルロン酸の点眼薬)とクラビット(抗生物質)を処方され、1日4回、当面は2週間程度点眼することになりました。

(現在進行中の内容なので、進捗があり次第、記事を更新します。)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

あたたかなコメントを、どをぞ。

メールアドレスが公開されることはありません。

*