ふっ、間に合った、今日も。日付が変わる前に。
今日も、短い、文章いきます。
よーい、どんっ。
そう、いう、もんでぃ。
…こんなことでいいのだろうか。
原文はこちらになります。
HOW TO BE CREATIVE (LONG VERSION)
一部の翻訳は、LifeHackerに掲載されています(そちらは別の方の訳です)。
26. 心で書け
物事を実現するための王道 (銀の弾丸) はありません。神様があなたに授けた愛しかありません。
プロのライターとして、私は会話がどう拡大するのかに興味があります。
会話はどう拡大するのか、xをn乗するとどうなるのか、などなど。
理想的に、もしあなたがコミュニケーションの仕事をしているのならば、あなたは1人の聴衆に語りかけるのと同じ方法で、数百万もの聴衆に対して同じことを言いたいでしょう。もしそれをうまくやることができるならと、あなたの持つその力を創造してみてください。
しかし悲しいことに、その方法ではうまくいかないのです。
あなたが1人の人物を愛するのと同じ方法では、群衆を愛することはできません。
そして、誰か1人の人間があなたを愛する方法では、群衆はあなたを愛することができません。
親密さは拡大されません。全くもってあり得ないです。親密さは1対1の出来事なのです。
それは対したことではありません。あなたが1人の受け手に向かって伝えたいことを書こうと、受け手が5人、1000人、百万人、1千万人であろうと、彼らと本当につながる方法はたった1つしかないのです。実際にうまくいくたった1つの方法というのは、
心からそれを書くということです。
大事なことなのでもう一度。物事を実現するための王道 (銀の弾丸) はありません。神様があなたに授けた愛しかありません。
今の教育現場はどうなっているのかわかりかねますが、少なくとも私が小学校で教育を受けていた数十年前は、心から何かを表現するという大切さを抑圧する教育が行われていました。「心に思ったことを素直に描いていいんだからね」などと言った教師から、私の表現に関してそしりを受けた回数は数えきれない。勿論中には私の表現や技能をそれなりに尊重してくれる教師もいましたが、彼らは立場が弱く、その中には極めて残念ながら転勤先で命を絶たれた方もいらっしゃいました。
1つの表現が、多くの人々を圧倒するには条件があります。それは対象となる人々が同じ価値観を共有しているということです。数十年前は、ある共通した価値観を大勢の大衆に押し付けるということが当然のように行われていました。学校教育しかり。マスメディアしかり。それらに順応できない人々には本当に生きにくい社会でした。共通の価値観の押しつけが大々的に行われていたために、有名でない人たちの独創的でささやかな表現は抑圧されていたのです。
時は流れ、今日ではインターネットの発展と、価値観の多様化により、少なくとも自分たちの表現する独創的なことを、馬鹿にされることはあっても誰も評価しないという悲惨な檻からは解放されつつあるように思います。彼の言う「心から書く」ということが、再び評価され始めるのではないでしょうか。上の記事でHugh MacLeod氏が言いたいこと、すなわち「心で書け」ということは、恐らく「感情に関する価値観を共有し、それを突破口とせよ」ということなのでしょう。昔は感情に関する価値観でさえ操作されていたけれど、「今はもう自分の好きなことで泣いて笑っていい、そしてそれをわかってくれる人がこの星のどこかに必ずいるから」と。