クリエイティブになる方法 No.6 誰もがクリエイティブで生まれてきた

本日もまたHugh MacLeod氏ネタです。本日は、LifeHackerサイトで詳細が訳されていなかったNo.6を取り上げます。身もふたもないことが書かれているような気がします。

原文はこちらになります。
HOW TO BE CREATIVE (LONG VERSION)
一部の翻訳は、LifeHackerに掲載されています(そちらは別の方の訳です)。
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6. 誰もがクリエイティブで生まれてきた。誰もが幼稚園でクレヨンの箱を与えられている。

その後、思春期になって、大人達はあなたのクレヨンを取り上げて本やら代数やらに取り替えますね。でもクリエイティブ虫と一緒にいると、数年経ってから突然何かが起きて、ちょうど「お願いだから僕のクレヨンを返して下さいぃー」と、涙ぐんだ声が聞こえてくるのです。

だからあなたは、何かをやりたくてたまらなくなるのです。脚本を書いたり、絵を描き始めたり、本を書いたり、あなたのファッジ・ブラウニーのレシピを然るべきビジネスに転換したり、何でもやるでしょう。そのむずむず感がどこから来るのかは分からないけれども、あたかもそれは招いてもいないのに、丁度自宅の玄関先に辿り着いたかのように感じるのです。今まではあなたは本当の仕事に就いていたり、普通の人として過ごしていたりして、とても幸せだったでしょう・・・。

今までは。

あなたは何が得意で何がそうでないのか分からないでしょうけれど、得意でありたいとは思うでしょう。そしてその考え方があなたを脅すのです。問題なのは、たとえあなたが得意であったとしても、この種のビジネスについて何も知らないということです。出版社や代理店や、何かこう、社会的地位の高い人たちのことを何も知らない。あなたに友達がいて、その友達のいとこがカリフォルニアでそういうことをやっているけれども、もう2年以上もその友達と話をしていないとか・・・。

それに加えて、本を書いても、もし出版社を見つけられなかったらどうする? 脚本を書いても、プロデューサを見つけられなかったどうする? そしてもしそのプロデューサが結局詐欺師だとわかっちゃったらどうする? あなたが自分自身の人生をいつも全てにおいて一生懸命に歩んで、努力の全てを何かに注いだのに、それでも、もしこの馬鹿な虹の果てに夢の実現がなかったなら、あなたは忌々しい思いをするでしょう。

へぇ、それはクレヨンを返して欲しいとせがむ涙ぐんだ声じゃないんですよ。それはあなたの外の声、あなたの大人の声、涙ぐんだクレヨンの声をなんとか黙らせる方法を探そうとしていて退屈で飽き飽きする声ですよ。

あなたの涙ぐんだ声は何かを売って欲しいと言っているのではないのです。あなたの涙ぐんだ声は何かを創って欲しいと言っているのです。そこには大きな違いがあるのです。あなたの涙ぐんだ声は、出版社やハリウッドプロデューサに関する嫌な思いを授けたいわけではないのです。

前へ進んで何かを作りましょう。何か本当に特別なものを作りましょう。見た人を本当にあっと驚かすような、何か素晴らしいものを作りましょう。

もしあなたが、何か仮想的なマーケットにおける、情報はないのだけれどどこかフィットする何かを作ろうとすると、あなたは失敗するでしょう。特別でパワフルで正直で真実の何かを作るのならば、あなたは成功するでしょう。

もしあなたが、より多くのお金が必要で、映画スターと一緒にいる必要があると決めたなら、その涙ぐんだ声は、姿を見せることはありません。あなたの魂が幾分かその涙ぐんだ声に依存しているからこそ、その涙ぐんだ声は戻ってくるのです。その声の中には、あなたが今まで言ってこなかった何かがあります。あなたが成し遂げて来なかった何かがあります。スイッチをオンにするべき明かりがあります。そしてそれは今、引き受ける必要のあるものなのです。

だからあなたはあなたはその涙ぐんだ声に耳を傾けなければならないのです。さもなければそれは死んでしまいます・・・あなたという大きな塊を道連れにして。

それらはただ単にクレヨンでしかないのです。幼稚園にいた頃、あなたはそれを恐れなかったでしょう。それを何故今恐れるのですか?

ここだけの話、訳していて正直ちょっと泣いた。自分にも少し心当たりがあるような気が致します。

本文に出てくる、「涙ぐんだ声」という喩えで出てくるものは、心理学等では「インナーチャイルド」として知られています。こんなことは誰も言いませんが、本当に幸せになるための第一歩として、インナーチャイルドの訴えを聴き、その本質を正確に解釈して、それを最大限尊重して行動することが求められるのだとか。

クリエイティブという言葉は、折に触れて誤解されやすい言葉のような気がします。例えば、どっかのおっきな会社の社長やエラい人が、「もっとクリエイティブに〜」などど発言したとしても、それはそれを単なる手段・道具としてしか捉えない言葉です。そういった場では、目的や手段に関する議論はしばしば都合の良いようにすり替えられます。殆どの場合、会社の本質的な目的は利益の追求であって、必ずしも現場がクリエイティブになれるというわけではありませんから。クリエイティブの本質というのは、ビジネスやその手段という箱庭の中で語るには次元が違いすぎる。

クリエイティブの本質はビジネスの本質を超越する。そう思うのですが、ビジネスの仕組みが世の中の仕組みの支配を担っている以上、クリエイティブに関する誤解や敬遠がどこかで生まれるのを防ぐことはできない気がします。例えば、本文にあるように、何かを実現するために現実的なことを考えて苦労をするとか、あることをやりたいのに、必要な時間もお金も奪われているとか。

現実世界とクリエイティブの乖離については、他にも色々な項目で議論されます。それらも追って訳されるでしょう。楽しみに待っててねぇ〜(○○えもん風に)。

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