今日はにわか雨の多い天気で、空はつばをあちこちに吐き散らすが如く好き勝手適当に雨水を撒き散らし、その罪滅ぼしとは言わないかもしれないがとりあえず、暑さの和らいだ天気となりました。
今日は少し忙しかったせいか、ブログの更新に辿り着くのが遅くなりました。やはり毎日更新するのは大変だ・・・とおもいつつ、いつものネタに走ります。「クリエイティブになる方法」No.8の邦訳です。
原文はこちらになります。
HOW TO BE CREATIVE (LONG VERSION)
一部の翻訳は、LifeHackerに掲載されています(そちらは別の方の訳です)。
8. クリエイティビティを押しつぶす会社はもはや、クリエイティビティを支持する会社と競争することはできない
そしてあなたは天才になろうとしている部下を虐めることもできません。
現代になり、20世紀の前半に「科学的に考え出された」会社が発明されてからは、「チームプレーヤー」への興味・関心を推し進められるようになり、クリエイティビティは犠牲にされてきました。
同意しましょうか。チームプレーをそのような方法で行うには十分なお金がありますしね。チームプレーをよしとしてきた理由はそれですよ。
ただそこには1つだけ問題があります。チームプレーヤーは彼ら自身で価値を創造するのが得意ではありません。彼らは自主的ではないのです。彼らはただ存在するためだけのチームしか必要としないのです。
だから、今の会社は考え方が自主的じゃない人たちで溢れかえっているのです。
「わかりません。どう思いますか?」
「わかりません。どう思いますか?」
「わかりません。どう思いますか?」
「わかりません。どう思いますか?」
「わかりません。どう思いますか?」
「わかりません。どう思いますか?」などなど。
独創的な考え方の欠落が立派に賞賛されるような状態で、経済的に発展しうる要素を創り出してしまうと、繁殖したがっている寄生虫みたいな輩たちにとって、豊かに繁殖しやすい環境を生み出してしまいます。そしてそれこそがまさに今起こっていることなのです。従って今、何百万という数の人間サナダムシ達が西欧諸国で繁栄していて、パワポのプレゼンに熱狂していたり、他人のクリエイティビティを祝っていたりするのです。
寄生レベルが臨界量に達した時、経済に何が起きるでしょうか。
経済は死にます。
もしあなたがクリエイティブなら、もしあなたが独力で考えることができるなら、もしあなたが自分の情熱についてはっきりと話すことができるなら、もしあなたが間違っていることへの恐怖を乗り越えることができるなら、あなたの会社には今までその会社があなたに与えてきた以上のものをあなたに与える必要があります。そして今あなたの会社はもう、あなたの考え方が当てはまらないというふりをする余裕はありません。
だから自分のホルンの埃を払って鳴らし始めましょう。まさしく。
けれどもあなたが特にクリエイティブではない場合は、あなたは実際には不利な状態にあります。あなたを助けてくれるバズワードも「新しいパラダイム」もありません。彼らはこのことをビジネススクールで話題に挙げることはなかったでしょう。でも・・・人々は恐竜が死ぬのを見るのが好きなんです。
上記訳文において、「自分のホルンを鳴らす」というのは、転じて自分をセルフブランディングするという意味です。また、「恐竜が死ぬ」というのは、世界の仕組みが変わるというニュアンスなのではないかと考えています。サナダムシというたとえは気持ち悪いです。誰かの才能は「寄生」の対象である、ということなのですね。音楽業界やオープンソースなどの情勢を傍観していると、それが何となく分かる気がする。
私には、組織がクリエイティビティを犠牲にしてきたのは日本だけだという視野の狭い勝手な先入観があったのですが、そういった問題が起きているのは海外も例外ではないということのようです。
ビジネスというのは、多くの場合口達者な人々が幅を利かせており、ある意味では口ばっかりなだけで仕事が回ってしまうことが多い気がします。ただ、本質が成っていなければ、そういったビジネスは短期間で破綻して回らなくなってしまい、そしてそこで彼らが仕事をたたむ時も、彼らはあたかも自分たちた正しいことをしたんだ、何も悪いことをしていなかったのだ、と言わんばかりの態度で振る舞うでしょう。
私はとある会社の技術系の部署で仕事をしているのですが、その会社に入ってくる人の中には、当然ながら技術に堪能な人もいるのですけれども、どちらかというと口達者な人が多く、そういった人たちが幅を利かせ、結果として彼らの発言で物事が回っているのが実情です。
お恥ずかしながら私も自分の情熱を、自分の考えてきたことをはっきり伝えられるようにする訓練を続けなければと思うのですが、それと並行して、今まで自分が自分の考えを伝えた時には、相手はしばしば、「なんだてめぇ、生意気なんだよ」と怒鳴ったり、話をそらしたり、私の話を汲み取るのに消極的だったり、根拠なく否定したり、と様々な反応を戴いてきたので、そういったところから来るトラウマの解消も必要なのかな、と感じています。
もしあなたがクリエイティブなら、もしあなたが独力で考えることができるなら、もしあなたが自分の情熱についてはっきりと話すことができるなら、もしあなたが間違っていることへの恐怖を乗り越えることができるなら、あなたの会社には今までその会社があなたに与えてきた以上のものをあなたに与える必要があります。そして今あなたの会社はもう、あなたの考え方が当てはまらないというふりをする余裕はありません。
そうであって欲しいとは思うのですが、これは未だに、特に日本においては、望みの薄いことです。会社は「今までその会社があなたに与えてきた以上のものをあなたに与える」ことはなければ、「あなたの考え方が当てはまらないというふりを」し続けるでしょう。それでも私たちは、私たち自身のことを、私たちにとって必要かつ大切なことを、尊重してくれる人を探さなければならない。そうした人や組織は存在するかもしれないけれど、やっと見つけたとき「尊重」してもらうための条件が高いハードルだったりする。孤独な決断です・・・。
なお、私は仕事とは関係のないところで自分の能力を生かすためのプロジェクトを実践しています。それがしっかりと形になることを夢見て。
ところで、日本に本気で「クリエイティビティを支持する会社」というのはどのくらい存在するのでしょうか?