いつだったか勤務先の会社で、新人研修の頃指導していた先輩社員を見かけました。当然ながら彼は人々を取りまとめ、必要なことや尤もらしいことを言うことには長けているのだけれど、誰かと他愛もない話をしているのを見たことはなく、彼を見かける時は必ず彼は一人でした。そして、ふと思ったことがありました。
「彼は今でも憎まれ役だ。彼のやることは、率直に言えば、人々を騙して型にはめることだ」と。
新人研修というのは往々にして、尤もらしいことを理由につけては、研修を実施する我々は正しくて、新人であるあなた方は間違っている、という価値観を新人達に強制するものであります。彼らは、相手の人々を本質から尊重するということはまずできなくて、指定された目標や課題を達成したその「瞬間」だけを、一時的に尊重するふりをするのです。それこそが、社会人のスタートにおいて私が見たものでした。価値観を押し付けられる側もそのことを薄々感づいてはいるのでしょうけれど、それを正直に言ってしまったら、自分たちの立場が危うくなるから、言うことができないのです。
本人もそのことを良く分かっているはずでした。彼が私に注意・指摘してくれたことや、私が謝罪しなければならなかったことは、それらのすべてが、己を犠牲にしてでも相手の都合を呑み込まなければならないということに関することであり、私達がより良く生きるということに関する本質を逸脱したものばかりでした。彼が教えてくれたことの中に、大切なことは何一つとしてなかったのです。たとえそれが、本当に大切なことのように見えてしまったり、大切であるという振りをすることは簡単だったとしても。いや、「それは本当に大切なことなんだ」と反論出来たとしても、それらは所詮はすべて単なる反面教師に過ぎなかったのです。けれどもそのことを明るみにしてしまうと、本人が食べていけなくなるから、自分も相手も黙らざるを得ないのです。私は何も言わず、彼の目の前を通り過ぎました。
後日、育児休暇が終わった女性社員の先輩と久々に面談していたら、「あんたも大人になったね」と言われました。それは、面談中に次のように主張をしていた時のことでした。
私は仕事柄、ほかの部署を相手に調整を進めることが多いのだが、大概は相手の部署が本業に忙しくて、うまく相手にしてもらえないことが多々ある。そして時として、自分のやってきたことが無駄になることさえあります。けれども幸いなことに、それが自分への悪い評価につながることはあまりないので、そういったことに対してはいちいち腹を立てずに、粛々と仕事を進めているんだ。
そして、薄々感づいてはいたけれど、改めて思ったことがありました。
「大人になるって、なんだろう? 実は大人っていうのは、偽りの固まりではないのか。」
- 真実を知っていて、時としてそれを打ち明けるのが子供。ただ、真実を打ち明けることによって子供は叱られたり、殴られたりするだろうから、子供は成長するにつれて真実を告げることはできなくなってしまう。打ち明けた子供は、真実を信じてもらえないと思うから、大人の言うことが渋々真実として刷り込まれていく。
- 真実を知っていながら、それを隠して他人を利用するのが大人。
- 打ち明けられた真実を信じない振りをするのが大人。
- そのような真実のために、他人から利用されたりするのが大人。
世の中に走らなくても良いことがたくさんあるとは言うけれど、その「知らないこと」が原因で、悪意のない多くの人が犠牲になっているように感じます。隠すべきことを隠したままにしておかないと、自分たちの立場が危うくなるし、場合によっては、むごたらしい報復を受けてしまうかもしれません。
私達には、誰にも邪魔されることのないようにして、一旦自分を子供に戻す機会が必要なのかもしれません。自分たちに関する真実、自分たちの経験してきた真実を思いっきり打ち明けても、そのすべてにおいて何ら問題ないと言えるような環境が必要だと思う今日この頃なのでした。
ちなみに、老人ホームの利用者達は、往々にして「幼児退行」することがあるそうです。また、認知症の末期症状に、「感情失禁」というものがあるといいます。当事者の方々には大変失礼であることを承知で言いますが、本当の自分自身の感情を数十年間も抑圧してきた成れの果てなのかもしれません。
コメント
こんにちは!最新記事を拝見させて頂いてからコメント書くまで時間が経ってしまいました。ほんとそうですね、子供の頃の心に、難しいけど、少しずつでも戻って行けたらいいですね…
26日お話会久々に行きます。
お仕事お忙しいでしょうね。またお目にかかれるのを楽しみにしています☆