クリエイティブになる方法 No.15 重要なのは引き受けるべき仕事と拒否すべき仕事を区別すること

今日は少し涼しくなりました。小雨も降りました。もし今日がクソ暑かったら、私はまだブログを更新するのを休んでいたことでしょう。ここ数日夜猛烈に眠くなるので、ブログを更新する気が起きなかったのです。夜はぐっすり、眠りましょう。
さて本日は、「クリエイティブになる方法」No.15 の翻訳をお送りします。

原文はこちらになります。
HOW TO BE CREATIVE (LONG VERSION)
一部の翻訳は、LifeHackerに掲載されています(そちらは別の方の訳です)。

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15. クリエイティブな人が専門的に学ぶべき最も重要なことは、どこまでの仕事を進んで引き受け、どこからの仕事を拒否するべきかの赤い線を引くことである

芸術は、他の人々がその作品に対する対価をいつ支払い始めてくれるのかについて苦しみます。あなたにお金が必要であればあるほどに、あなたにやるべきことを指図してくる人々は増えていきます。そしてあなたが耐えなければならないたわ言も増えていきます。そして仕事がもたらす喜びは減っていきます。このことを理解して、それに応じた計画を立ててください。
現在のところこの星で2〜3番目に高い評価を受けた漫画家の1人である、クリス・ウェアが、彼の仕事について「報いがない」ということを述べていたのを、私は最近聞きました。
あなたが昇っている梯子のてっぺんにいる人が、てっぺんからの眺めを「報いがない」と述べる時、気になっちゃいますよね。へぇ〜。

私はクリスがテキサス大学に戻った頃のことを知っています。その後、1990年代の始め、クリスがシカゴ美術館附属美術大学で修士を取得していて、そして私がレオ・バーネットでジュニア・コピーライターとして働いていた時に、クリスはシカゴの有名な芸術家気取り達の集まる地域である、ウィッカー・パークでたむろしているのを私は知っていました。それほど近しくはなかったけれど、私と彼はお互いに友達でした。彼はナイスガイで、ものすごくスマートでした。

だから私は彼が、才能ある学部生から、有名なロックスター・コミックの一皮むけた男になるまでの数年間を見届けました。見ていて楽しいです。知っている人々が当然に有名になっていく時というのは、確かに励まされます。それだけでなく、良い意味でも悪い意味でも、プロの漫画家になるという現実を直接見るということが私にとって本当に有益なことでした。現実のスナップショットを得るというのは素晴らしいです。

5〜10年前、私が漫画を実際に専門的なものとしてやっていこうかと考えることができるまでに、良いものになったところまでこぎ着けた時のことに関して、クリスの例は私にとって沢山のことを本当に明らかにしました。私は市場を探しましたし、クリスや彼のような人々の生活のようなものを見てきましたし、ショットと呼ばれる仕事をしている人々を見てきましたし、多くの漫画の出版者が暮らしている、裏切られた惑星のようなものを見て、「いやぁぁぁぁっ」になりました。

もう少しだけそのことについて考えますが、私が広告業界で仕事をしていた主要な理由の1つは単純に、「その広告を変える」という言葉の聞こえ方が、「その漫画を変える」という言葉の聞こえ方に比べて、さほど私をイライラさせるものではなかったからです。広告を書かなければならないと妥協することは、とてつもなく辛かったのだけれども、私個人に対する当てこすりだと受け取らなければならないことは限られていましたから。それは組織の製品であって、組織のお金なのだから、健康な境界線を維持するのは、個人単独の仕事の場合よりも簡単です。漫画の仕事では、このことは不可能だと、常に気付いていました。

クリエイティブな人が専門的に学ぶべき最も重要なことは、どこまでの仕事を進んで引き受け、どこからの仕事を拒否するべきかの赤い線を引くことなのです。この赤い線は、あなたの支配権の境界を定める重要な線なのです。この赤い線は、あなたの私的でクリエイティブな領域を定義します。あなたが喜んで引き受けるものと、あなたが引き受けないものの境界線です。あなたが自分でなんとかできなくなるのを進んで受け入れても良いことと、これだけは譲れないと思うところの境界線です。あなたが進んで支払っても良いと思う価格と、これは絶対に支払いたくないと思う価格の境界線です。全員が違います。つまりみんなそれぞれ違った赤い線を持っているのです。みんなそれぞれ違った「セックスと現金の理論」を持っているのです。

私が「自分たちの芸術について苦しんでいる」誰かを見るとき、それは、その赤い線がどこにあるのかを知らない、自分の支配権がどこにおかれているのかを知らない人たちのケースであるとわかります。

なぜだか彼は、いくら下品なプロデューサでも、まさか自分のフィルムを要領を得ない書き換えで台無しにしてしまうことはないだろうと思うでしょう。ああ、でも違うんだ! なぜだか彼は、ギャラリーのオーナーが有能なビジネスマンだということがわかるかもしれないと思うでしょう。ああ、でも違うんだ! なぜだか彼は、出版社が彼の新しい小説を適切に販促してくれるかもしれないと思うでしょう。ああ、でも違うんだ! なぜだか彼は、ベンチャー・キャピタリストが、スタートアップのキャッシュフローについてそんなに嫌なことは言わないだろうと思うでしょう。ああ、でも違うんだ! なぜだか彼は、CEOは自分の提案した新たなマーケティング戦略をサポートしてくれるはずだと思うでしょう。ああ、でも違うんだ!

どこに赤い線を引くかを知ることは、自分を知ることのようでもあり、あなたの本当の友達が誰なのかを知るようなことでもあります。ある人々やある物事は、他の人々や物事よりも良いということです。人生とは不公平なものなのです。

なにもこれは芸術に限ったことではありません。例えば、

フリーランスの受託は、他の人々がその作品に対する対価をいつ支払い始めてくれるのかについて苦しみます。あなたにお金が必要であればあるほどに、あなたにやるべきことを指図してくる人々は増えていきます。そしてあなたが耐えなければならないたわ言も増えていきます。そして仕事がもたらす喜びは減っていきます。このことを理解して、それに応じた計画を立ててください。

まず、自分がどこまでを引き受けて、どこからを拒否するべきかを、自分に都合が良い基準として定めるには、経験を根拠としなければなりません。それも特に、失敗に関する経験が必要になってしまいます。何故ならば、失敗こそが自分に関する危険の本質を根底から理解するほぼ唯一の手段だからです。たとえ火傷をしないに越したことはなかったとしても、火傷をすることの本当の苦しみは、実際に火傷をしてみなければ、わからないのです。

私は以前、本業の仕事とは別に、あるソフトウェアの開発案件を引き受けたことがありました。最初は数人の開発チームの一人として迎え入れられるのだと勘違いしていました。しかし蓋を開けてみると、大規模なシステムを設計から実装まですべて、私1人で行うというものでした。しかし私自身も、自らの知識と僅かな経験から「これはできるのはないか」と甘く見ていたのが運の尽きでした。大規模ながら設計までは余裕があったものの、実装の段階で予想以上に苦戦することとなり、当然遅れが出ました。納期と追加の要求は容赦がなく、精神をズタボロにされました。結局、報酬を受け取ることはありませんでした。同じような経験をした人は周りに誰もいませんでした。私の経験以外に、私に適切なことを教えてくれる凄い人は、この世に誰もいなかったのです。この経験をして初めて、私の中に、受託開発の危険性に関する基準が設けられたのです。

自分に対する周囲からの不都合を理解することも、そしてそれに耐え抜くことが大切だということも、さらには自分を知り、自分の真の友を知るということも、記事には簡単に書いてありますので、いとも容易いことのように思えてしまいます。文章を通じて頭で理解できたつもりになっても、それでもなお、理不尽と苦痛を経験しなければ理解し得ない自分だけの真理があるのです。悲しいことに、その自分だけの真理を習得していないがために陥る罠が、世の中には沢山あるのです。わかりやすい例で言えば、宗教勧誘や悪質なセールス等々。どうか悪質極まりない罠にはまることなく、自分のための実りある真実を掴みとることができますように。

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