クリエイティブになる方法 No.37 意味は拡大される。人々は変わらない。

お盆開けの一週間が終わり、未だゆとりがなさ過ぎる状態でおります。駆け足で過ぎ去った数日の来し方には、様々な翻弄と混乱の祭り囃子が凝縮されておりました。あたかもちょうど子供が人形を弄くり回して遊ぶのを楽しんでいるかのように、世の中は大衆をおもちゃのようにもてあそぶのが、大好きなのです。そんなわけで、本日も「クリエイティブになる方法」の翻訳をお届け致します。

原文はこちらになります。
HOW TO BE CREATIVE (LONG VERSION)
一部の翻訳は、LifeHackerに掲載されています(そちらは別の方の訳です)。
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37. 意味は拡大される。人々は変わらない。

私の2005年2月のブログ記事「意味は拡大される」より:

(引用開始)
仏陀が言ったように、ニルバーナ(解脱)への道は1つではない。悟りは60億もの扉を持つ家である。私たちが生きてる間、私たちはどこかにある「特定の扉」や「何らかの1つの扉」を見つけるのではなく、「自分自身の、自分だけの固有の扉」を見つけることが目的なのだ、と。
そして私たちは、自分の栄誉に対してならばどれほどの出費も惜しみません。私たちは、その扉を見つけるためならば、お金も、時間も、権力も、セックスも、地位も、必然性も、癒しも、捨てる覚悟です。

何が言いたいかわかります? それは素晴らしい扉になるんです。その扉はこの人生の中に加わるんです。その扉は響き渡るものです。私たちとともにそうなるだけではなく、それに出くわすすべての人々とともに。その扉は有用で生産的なものです。生き生きとしていて素晴らしいものです。富と笑いと喜びを創り上げるものです。その扉はそれ自身の役割を十分に果たし、周りの人たちに報いるのです。その扉は慈悲の中心にありますが、頭の鈍い人や寄生者や皮肉屋に対しては寛容ではないでしょう。

その扉はささやかなものかもしれないし、そうでないかもしれません。それは小さなろうそく屋であるかもしれないし、スウェーデンの国民総生産に匹敵するほどのソフトウェア会社かもしれません。それは政治を巻き込んだり、年配の人と一緒に働くことを伴うかもしれません。それはデザインスタジオを立ち上げたり、いとこのマイクとバーを始めることかもしれません。それは脚本だったり、油絵だったり、バイオリンを楽しむことだったりするのかもしれません。そんなことは問題ではありません。意味は拡大されるのです。
(引用終)

確かに、私がそれを書いた時、私は少しクール・エイド (粉末ジュース) にハマっていましたが、それでもなお、要点については有効だと思います。努力の大きさは、あなたにとって非常に意味があるものになるのだけれども、それはここでは問題ではありません。
しかし2つの道の選択があって、その両方が有効だったとき、どちらの道を選ぶべきか、どうやって知るのでしょうか? どちらの道に意味のある収穫があるのか、どうやって知るのでしょうか?

勿論答えは、それをしないということです。「アート・スター」になるためにニューヨークすることについて話しているにしろ、テキサス州のアルパインに質素なろうそく屋を開業することにしろ、それこそが彼らが「冒険」と呼ぶ理由なのです。なぜならそういったシナリオがどのような結末になるのかをあなたは知らないのですから。

そうです、あなたができることは、これが冒険なんだということ自分で認めて、それを驚きを含めたすべてのものなんだと受け入れることだけです。最終的にはその流れに乗るために、ほんの少し試行錯誤が要るのです。

はい、価値のあることをするには何でも沢山の試行錯誤が必要です。そこには冒険も含まれます。

そして私が「人々は変わらない」と言う時、それは当然のことを言っています。たとえどんなに素早くあなたが頂上に登り詰めても (あるいはそうでなかったとしても) 、それでもなお、あなたは生きとし生けるものとして、日常の現実の世話になっているのです。

誕生、病気、死去、恋愛、テレビを見る、家族を養う、草刈り、映画を見に行く、甥と球技を見に行く、ビールを飲む、友達と一緒に過ごす、フリスビーをする、家を塗装する。あなたの冒険があなたをどこへ導こうとも、本当に意味のあることの多くは、あなたが冒険に着手するよりも前に、普段やっているありふれた物事を中心に展開しているところから見つかるのです。そうしたありふれた物事は、私とあなたのどちらも死んだずっと後も、私たちの世界への貢献が忘れ去られたずっと後も、続いていくのです。

けれど頻繁に、人はこのことを本当に理解する前に、まずは大きな冒険を持つ必要があります。元に戻っちゃいましたね、まさしく。

この記事は、他の「クリエイティブになる方法」の記事に比べて内容が若干わかりにくいのですが、要は「自分の人生の本当の目的を知りつつ、当たり前のことを継続し、そこから学びを得ようとすることが重要だ」ということなのでしょう。

心に思い描いた自分の夢を、いざ現実にしていこうと思った時、何が役立つのかといえば、本質的には、日常で培った知識と知恵が役に立つのだ、ということなのだと思います。そしてそのことは、どんなに努力をしようとも、夢の実現のために夢中になろうとも、常に意識の傍らにおいておいた方が良いということなのです。

「意味は拡大される」という言葉の意味ですが、ここでいう「意味」とは、「自分たちの目的」や「自分たちの生まれてきた意味」といったことのようです。彼の他のブログ記事には、次のような記述もあります。

私たちは「クリエイティブの時代」に入ろうとしています。私たちは意味を探し始めました。

私たちは飢えています。意味とはすなわち祈りなのです。

「意味は拡大される」より

私たちは子供だった頃、何もかもがポジティブで、生産的で、それでいて都合の良い夢を思い描いていたのではないかと思います。そして現代社会のシステムに洗脳される中で、幼い夢は一旦破壊されます。それを思い出していくまでの間に、ある時はつらい日常の中で、ある時は何気ない日常の中で、何か自分にとって大切なことを学ぶことはできたのでしょうか。自分たちを支配する日常は変わらないけれども、その中において遭遇する困難と、そこから学ばされることは日々新しく、それらを通じて、創造と貢献のために私たちは何かしら変わることができるのでしょうか。

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